海とママの秘密

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語り継ぐこと・・・・

お盆の最終日、終戦記念日でもあります。

毎日のニュースは猛暑の事と帰省の渋滞。

お墓参りも済ませやっと一息お休みらしい日が出来たので

長崎に行ってきました。

ドライブの最終地は長崎の平和公園でした

記事・写真が沢山ですが今日の終戦記念日によせて

最終の平和公園を先に。






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長崎に原爆が投下されて6日目に終戦になりました

その時の長崎はおぞましい光景だった事でしょう

被爆した住民の方々は苦しみ・家族を失った方々は途方に暮れて・・・・

今の私達には到底想像もつかない事。





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平和公園から階段を下りた所にも公園がありますが

この辺りが爆心地だったそうです。




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今もなお世界中から祈りが捧げられていますが

あの苦しみや悲しみの記憶が言える事はありません

被爆二世・3世と続く苦しみ

同じ人間がしでかした大きな過ちを償う事も出来ません。






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これから先、私達に出来る事は同じ過ちを犯さない事。

さる8月9日の長崎市で開催された長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での

田上長崎市長の原爆廃止に対する言葉は聴く人の心を打ちました。
 
長くなりますが貼り付けてみました。






「平和宣言」

68年前の今日、この街の上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていた街は一瞬で廃虚となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4000人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病や癌発病への不安、そして、深い心の傷を抱え続けています。

このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し、地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。

日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。

2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで「核兵器が存在する限り私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。

しかし、世界には今も1万7000発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に、核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

核兵器のない世界の実現を国のリーダーだけに任せるのではなく、市民社会を構成する私たちひとりひとりにもできることがあります。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意が込められています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さないという平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウオー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか、考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。

地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は、今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとする時は、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

東京電力福島第一原子力発電所の事故は未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われた上、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。

先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。

原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して、核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上富久




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「いかなる場合にも原爆は使わない」ということに日本政府は賛成しなかったと

いう事実を踏まえての発言でした。
 
「いかなる場合でも」と言うことが出来るのは、

実際に被爆した日本だけであり、「使用禁止」を発言すべき責任がある唯一の国です。






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あのむごたらしく虐殺された長崎・広島の被爆者の亡くなり方を見た時に、

これは絶対に、どんな場合でも使ってはならない兵器だ、

と日本人なら確信したのではないでしょうか










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コメント

No title

当時、母は小倉の軍需工場で働いてたそうです。
そうです。第一目標は製鉄所がある小倉が投下場所。

悲しい歴史は繰り返して欲しくないのですが・・・

No title

終戦記念日の今日にふさわしい記事をありがとうございます。。。
長崎市長さんのお言葉に涙が滲みました。。。
私は広島の原爆ドームにしか行ったことないですが、はじめて行った時胸が押し潰されそうなほど苦しくなった記憶があります。
長崎も同じ悲しみが詰まってるんですよね。。。
海ママさんがおっしゃる通り、私たちの想像をはるかに超えた状況だったのでしょう。

私達ができること。。。語り継いでいきましょう☆『絶対!戦争反対!!!』

No title

亡くなった祖父も戦争体験者で
お盆に親戚たちが集まると必ず戦争の話になります。
子供の頃は嫌でたまらなかったのですが
いまでは祖父が生きているうちにもっと聞いておけば
よかったのではと思います。
叔父たちが祖父から語り継いだ話、私も自分に子どもができたら
毎年お盆に語り継いでいきたいと思います。
原爆の体験も長崎まで修学旅行にいったからには
次の人達に語り継いでいかねばなりませんね。

No title

ホントに長崎・広島の原爆の話は、大変だったのよね~ってアメリカで英語学校の中で、いろんな国々の人たちから言われたのが今でも印象的です。

そのくらいこの話は世界中に語り継がれてる悲惨なお話です。戦争はホントにいやですよね。

うちまる店長様

原爆投下の日は小倉上空が曇ってて
変更になったと聞いています。
まったく紙一重だったんですね。

まるぽぽ様

私も広島へは年に1度ほど行きますが
その度に立ち寄る原爆ドーム
今はのどかなお散歩コースみたいになってますが
当時の事をTVなどでみたりすると
震えがしてきますね
今年の長崎市長さんの「平和宣言」は心に深く
残るものでした。
いつまでも風化させてはいけない事ですね。

あさみ様

そうですね。
子供の頃はその悲惨さなど分りもせずに
話半分と言う感じで聞いた事もありましたね。
今は映画やアニメなどでも大きく取り上げられてて
小さな子供ちゃん達にも
是非見てもらいたいです。
今も修学旅行では沢山の学生さんがきてますが
何かを感じて帰って欲しいですね。

イヴォンヌ様

広島の原爆ドームもそうですが
昨日訪れた平和公園にも外国の方が沢山いらしてました
日本人より多かったかも。
観光に来て言ってみたい場所の上位だそうです。

初めて訪れた長崎の平和公園は本当にのどかでした。
空と地平線を指差す像の肩にも腕にもたくさんの鳩がとまっていました。

何故核が世界から無くならないのか。何故日本政府は原爆をいかなる場合もNOだと言えないのか…。

忘れてはいけないし、NOと言い続けることができる自分であり続けたいと思います。

ぎんママ様

この日もお散歩に来てる人々旅行に来てる人々で
のどかな公園でしたよ
でも68年前のこの日は確かに地獄絵図の場所だったはずです。
なぜ核とかがいるのでしょうかね
皆で一斉に失くしてしまえば良い事なのにね。
NOと言えない情けない日本の政治家、情けない。

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Author:maomao955
シーズの海君14歳になったでつ、海の日に生まれたから、海(かい)という名前でつ!うちべんけいの男の子で、おもちゃが大好きでつ、亀公園で散歩するのが日課でつよ。

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